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変化の哲学とは2019/10/26

SUN AND MOON

2019/10/262019:10:26:12:14:28

変化の哲学とは

変化を感じる兆しとして、お決まりのパターンというものが誰にでもあると思います。

私の場合はトヨタ生産方式ではありませんが、いわゆる5Sのイメージ。出来る範囲で、整理・整頓・清潔・清掃・躾(これは自分ではできません)。

その衝動がどこからともなくやってきます。

今回、戸隠に来て3回目の断捨離が発生中。新しい風をむかえるべく、不要なもの、旧態依然のパターンを手放すフェーズです。

インテリアの置き方や手に取る本、メール文章の構成等も微妙に変化していきます。これが面白いんですよね。

何か変化を発生させる前には本当に掃除がよく効きます!

段ボールを整理していたら、当時、思い出深く、影響を受けた書籍が出てきました。

冒頭にこう書いてあります。

新しい世界観、新しい概念、人間の新しい能力

本書の最初の部分は(第一、二、三章)は、機械的因果理論(*)を基礎とするデカルトの宇宙観から、類型、目的、過程によって構成される宇宙観への哲学上の変遷を扱っている。またここでは、一定の目的を設定し、技術革新や社会革新を遂行する新しい能力と、それに伴う新しいチャンス、新しい危険、新しい責任の出現をも問題にしている。学識や高度の技術を身につけた人々が責任ある判断をくだし、共同の努力によって成果をあげるよう組織する新しい能力にも触れている。そしてこの新しい能力が、大組織という社会の新しい中核をなす機関を生み、また、社会と個人が人間の自由を確保し、すぐれた業績をあげる、相互に依存する二つの極となる新しい社会秩序の理想を生むということをも論じている。*「全体は部分の集合である」という世界観

今、読んでも、どこかフレッシュな印象のある文章。

いつ、誰が、書いたと思いますか?

なんと、今から約60年以上前、1957年に、今日著名な経営学者として知られるP・F・ドラッカーです。

氏は自身を社会生態学者と称し、ゲーテのファウストに登場する物見役のリュンケウスの如く、社会の変化を客観的に眺める傍観者の立場で研究していると述べられていました。

タイトルは「変貌する産業社会」。
元々の英題は「The Landmarks of Tomorrow」。

20歳前後の当時、全く自慢できるお話しではなく、むしろ後悔の念の方が強いのですが(苦笑)、色々なことが重なって、学校教育に全然将来を見出すことができず(今は逆)、迷いますます甚だしくも、何か内面から希求されるような感覚があり、朝から晩まで図書館に通っている時期がありました。その頃、本書より特に影響を受けた覚えがあります。

チャーチル大統領が激賞したとされる「経済人の終わり(1929年)」、ゼネラルモータースのコンサルティングを通じて事業部制の概念を提唱した「会社という概念(1946年)」、目標管理制度を提唱した「現代の経営(1954年)」等、未だに読む人が一定数以上いると思われるこれらの経営分野の金字塔的著書に続き、1957年に出版されたのが本書です。

個人的には、科学技術と人文科学を行き来するような立場で、来るべき社会の技術革新の波と変化を捉えんとし、哲学的な見地を多分に意識してまとめられた本書が、数あるドラッカーの書籍の中でも特に優れた洞察が披歴されていると感じます。

この頃から日本は高度経済成長期に突入し、活力に満ちた時代に差し掛かりますが、世界中で盛んにイノベーションやマネジメントの大切さが説かれ、社会全体で高く認知されるようになっていったと思います。

本書は今では、当たり前になり、すっかり定着したイノベーションやマネジメントという体系が、なぜ社会で必要となりつつあるのかの根本テーマを、目的によって組織化される団体(いわゆる会社)が勃興する時代に、哲学的なアプローチを試みているという点で、当時の時代背景を考えると、非常に革新的であったと思われ、書籍全体がチャレンジ精神とエネルギッシュな雰囲気に包まれているのも素晴らしいです。

未知のものを組織する力

60年前(*ということは1890年代頃)、科学的発見における直観的洞察の役割をはじめて指摘したのはアンリー・ポワンカレであった。しかし、彼のいう直観は、「天才のひらめき」であり、予測の不可能な潜在意識的なものを意味していた。したがってポワンカレーの言によれば、われわれができることは不測のことがいつ突発するかを気をつけて見守ることだけであった。

こんにち、われわれはこの分野において意識的な学問―学ぶことはできてもまだ教えることができない―によって、未知の分野に想像力を伸ばすことができるという信念を抱くようになってきている。われわれは、意欲的な方法によって創造的な感覚を育成している。これは過去の科学のように既知の知識を組織することではなく、むしろわれわれの未知のものを組織することなのである。

選択の中でも重要なのは、目的と手段の双方に関する価値の選択である。革新は、技術と社会機構に無限の可能性をもたらすものであるが、まさにそのゆえにこそ、つねに革新自体の価値はなんであろうかという疑問に当面することになる。われわれは高度のものをめざすべきであろうか、あるいは適当なところで折り合うべきであろうか。

新しい世界観

発展、成長、衰微といった、実質的でとり消すことのできない変化についての厳密な学問が必要なのである。そのような変化を前もって知るための厳密な方法を必要とする。われわれは、現象を、それらの原因からよりはむしろこれからの方向や将来の状態から、つまり、蓋然性より可能性の計算方法によって、説明する学問が必要なのである。われわれは、目的の哲学、質の論理、そして質的変化をはかる方法を必要としている。われわれは可能性の潜在と顕在の、転換点と危機的要素の、危機と不確実さの、不変性と適時性の、飛躍と連続の方法論を必要としている。またわれわれは、多様性と単一性が、同じものに同時にしかも必然的に存在する極として定義される、両極性の弁証法を必要とする。

日常生活において、約15年ほど前はガラケーがまだ主流でした。カメラ付き携帯の画素数が、新機種登場と共にバージョンアップされるため、綺麗な写真を撮ることがお決まりで、着メロをダウンロードし、学校の休み時間にこっそり聞き比べを友人としている時代でした。

それからスマホが登場し、多種のアプリを使いこなし、情報ネットワークにアクセスし、やりたいこと、知りたいことを容易に入手し、天気予報から海流の動向や潮の満ち引きから釣り果の予測、ライブカメラの設置・配信から観光地の美しい風景を遠隔で楽しんだり、ひと昔前は金銭的に価値がついていた高額のビジネスノウハウが無料同然で配信されるようになったり。

一人ひとりが日々の生活の中で接し、使いこなす情報の量が圧倒的に増え、もともとは人間の脳の中と対話によって行われていた変化の予測という面においても、情報機器が大きく貢献しています。

今、生命科学の先端の現場で蓄積されているデータベースの量・質ともに信じられない水準に達しています。

例えば遺伝学の分野。

DNAは、生命活動の維持に不可欠なタンパク質を合成するための設計図であり、DNAの遺伝情報は、mRNAに転写され、それを元に多種多様なタンパク質の合成が始まります。この過程で機能する酵素はRNAポリメラーゼIIと呼ばれています。

このDNA→mRNA→タンパク質の経路は分子生物学の中核をなす概念で、セントラルドグマと呼ばれます。

特定の時間・空間において、細胞中に存在する全てのmRNAの総体をトランスクリプトームと言い、その差次的変化を扱うトランスクリプトミクスという分野もあります。

大学院での課題で取り組み非常に勉強になったのですが、昨年Nature誌に発表された土壌微生物関係の論文では、このトランスクリプトームの発現パターンと代謝物の相関関係を非常に高スペックのコンピュータを駆使して時間経過に従って網羅的解析を行い、生合成のパターンから新規微生物の種の特定に成功したという内容でした。

掲載されて間もない昨年春頃の論文でしたが、遺伝学の基礎から学び始めていた頃だったので、そもそも用語や基礎理論がわからずの中での翻訳で非常に骨が折れました(汗)。

さらに驚くべきは、遺伝子・ゲノムを網羅的に解析するゲノミクス、先に挙げたトランスクリプトミクス(転写領域の網羅的解析)、metabolite(代謝物)を網羅的に解析するメタボロミクスなど、遺伝レベルという目には見えない極小領域の部分の総合を、時間・空間軸において、網羅的に解析するオミックス解析という手法も登場しています。

土壌微生物について付け加えるなら、遺伝学と情報科学の融合による新技術を応用し、現在、熱帯林、砂漠、都市部、郊外、山岳地帯など、環境が異なる土壌を採取し、同一の方法(実験系を均一化して)で、いかなる多様性の違いがあるかを次世代シーケンサー(NGS)によってメタゲノム解析が行われています。

研究目的は、広義に言えば、生命現象の解明は人間をより理解し、quality of lifeのさらなる高みを目指して、だと思いますが、目下、食料自給率、植物・野菜栽培上の様々な課題があり、栄養循環と炭素貯蔵の面から、広域にわたる微生物活動をより理解することが求められているのだと思います。

Structure and function of the global topsoil microbiome

Climate-land-use interactions shape tropical mountain biodiversity and ecosystem functions

土壌 即 人体への影響・相関関係として、明確なエビデンスやロジックは、もう少しデータの蓄積と厳密な検証を待たなければいけなさそうですが、微生物叢の腸内環境や、農産物との関連を明らかにしている論文は数多く出てきています。

このように現在、生命科学分野においても、日々蓄積されているデータの量・質共に、未だかつて人類が経験したことのない程の膨大なものになっています。ビッグデータをAIを駆使して利活用していこうというのが産業界の大まかな流れとなっていますが、一方で、目的・価値と成果の定義・活用方法等において、データの質と量に圧倒されず、これまでの時代とは異なる哲学が求められている気もします。

今、先端の現場での解析は、かつてのデカルト的な世界観でうかがい知る、比較的、静的な部分の集合から全体を予測していくのではなく、動的で繋がり合うもの同士が、様々な条件下でいかに発現もしくは発生し、特徴ある突出した部分になり、極めて複雑系の中で、全体の構成にどのように寄与しているか、それはどのようなプロセスでどんな意味があるのかを、超ハイスペックなコンピュータで予期しようとしている、NEOデカルト的アプローチな趣さえあります。

生命倫理を側面を考えるならば、個人的な感触では、遺伝学の基礎から理解しようと努め、先端研究の現場にいる人たちの苦労や葛藤の様相を知り、農民的な立場で、いのちあるものを育てる感覚的な要素をミックスさせながら、はじめて心に響いてくるようなところもあります。

それくらい生命現象は取り付く島が難しいテーマなのだと思います。

技術進化と時代のあまりにも早いスピード感と変化の波に対して、当然のことながら、保守の立場もあります。

「昔はよかった」方式です。

これも素晴らしいアプローチで、古き良き伝統・文化・慣習を継承する姿勢はなくてはならないと思います。

温故知新。

On-Coという会社名で起業した友人がいます。

私の場合、戸隠で、生活に循環的性質を取り入れて豊かな時間を過ごされている、伝統文化・農法の賢者達から沢山の学びを頂きました。

それらは、暮らしに潤いをもたらしてくれるギフトに富んでいます。

若手で現代生活のリズムとパターンに疑問を持ち、試行錯誤しながら、時に葛藤し、あるべき姿とは何かに果敢に挑戦している逞しく、頼もしい人たちもいます。

しかし、時間は不可逆性であり、宇宙空間では、銀河系の遥か彼方で、超新星が起きたり、太陽フレアが地球に降り注ぎ電子機器が、何年かに一度調子が悪くなったり、地球環境は窒素過多で環境汚染が進んだり、それによる大中小様々な因果関係で温暖化になり、大きな氷が解けて水位が上昇して、住めない街が地球上に発生していたり、逆に寒冷化に向かう地域もあって冷害が発生したり、空間が全くの元の通りの状態になることもありません。

昔も今もこれからも、技術進化には敬意を払い、時代に応じて量と質の論理に基づく弁証法が必要なのかもしれません。

そこには瑞々しい生命現象の歓喜と視点を入れていきたいものです。

〈そうだニャン!(もうすぐここのえのNew Familyになる予定のうかちゃんです。皆さま、よろしくお願いします)〉

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tool Right in Two

21世紀のキンググリムゾンなどと呼ばれ、非常に高い演奏技術と独特の世界観で、グラミー賞も受賞し、商業的にも大成功したアメリカのprogressive rockバンドtool。

この楽曲のPVでは、人間を傍観者の立場におき(まるでリュンケウス)、業・欲と技術進化の変遷を視野に入れ、原始文化、偶像崇拝、創造主、弱肉強食、栄養価が低く偏った食事、精神汚染、戦争、コマーシャリズム、画一化とブランド化、食肉工場、一党独裁体制、マッドサイエンティスト、人工授精、洗脳戦略等を描きながらも、勧善懲悪の世界観ではなくとも、アイロニックに社会の変化を見ている趣があります。

それも一つの解釈のアプローチですよね。

Monkey killing monkey killing monkey over pieces of the ground
Silly monkeys, give them thumbs, they forge a blade
And where there's one they're bound to divide it
Right in two
Right in two

この曲を「二つが良い」と訳す人もいます。

静と動、陰と陽、新と旧、二極性の中での統一といった易学的世界観も面白いのかもしれません。

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THE KOKONOE代表 水谷 翔

THE KOKONOE代表水谷 翔

医工学修士。信州大学大学院総合理工学研究科卒業。THE KOKONOEの経営と並行して修士課程に在籍し、先端生命科学の研鑽に励み学位を取得。植物優勢生育の条件を土壌微生物の比較ゲノム解析からアプローチし、学術と現場の両輪から探究。土づくりアドバイザー。ゴングパフォーマー。Sound Luxury 代表セラピスト。2021年より医療福祉専門学校にて鍼灸師の国家資格取得に向け研鑽に励む。

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